泣いて笑って手をつなぐ

ひとりっ子三兄弟の母になる

NPO法人マドレボニータ インストラクターとしての行動哲学(前編)

✲出産をしたら産後ケア✲

●Rin(宮澤千尋)●
産後ケアのプロとして
出産をした女性も「わたしらしく」
のびやかに人生を歩めるようサポート ‿‿‿‿‿‿‿‿‿ꕤ。 
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✲出産してすぐ:マレー式産後ケア✲

✲産後2ヶ月から:産後ケア教室✲

 

おはようございます。

当ブログに足をお運びいただきありがとうございます(^-^)

 

マドレボニータ2019インストラクター養成コース第2週ではNPO法人マドレボニータ(以下マドレボニータ)のインストラクターとしての行動哲学をオンラインで受講しました。

 

前回の課題図書に続き、今後わたしの行動の軸になる重要なものです。

(第2週課題図書Blog【前編】【後編】

こちらも常に目にできるよう、立ち返ることのできるよう、記しておきたいと思います。

 

 

はじめに
わたしが第三子産後にマドレボニータの産後ケア教室に参加したときに感じて印象に残ったこと
■インストラクターがとても生き生きとして魅力的である
■リードの際動きに関する説明がとても丁寧である
(どのようにして動かすかとその効果)
■場の空気がやわらかく不安なく参加できる
■インストラクターが参加者と言葉を交わすときに対等である
(一人の女性対女性であり、「先生とエクササイズに来たママ」という感じではない)

 

シェアリングの際に感じたマドレボニータの理念への共感とともに、以上の点がとても心に残りました。


そして自分もマドレボニータのインストラクターになりたいと思い「産後プログラム指導法集中講座」をオンライン受講することとなります。すると、これらは全て考えられたものであること、場の作り方から声掛けまで、全てに理由がありそれをインストラクター全員が理解し、共感し、共通の信念をもって教室を作り上げているのだとしり、驚くとともに深く感動したのでした。

 

全国各地、どこの教室に参加しても必ずマドレボニータの理念を肌で感じられるようになっているということです。

 

産後プログラム集中講座もまた、その構成や受講者への問いかけなど、全てに意味を持ち、丁寧に言葉が選ばれていると感じ感銘を受けました。(受講しながら感動してこみあげてくるものがありました。)

 

NPO法人マドレボニータのインストラクターとして

わたしが産後女性を対象とした整体師でもなく、エクササイズ教室のインストラクターでもなく、マドレボニータのインストラクターとして産後ケア教室を行いたいと思ったのは「マドレボニータの理念」に共感と感銘を受けたからです。

 

わたしが「産後のバランスボール教室」「産後ケア教室」の場に立つとき、そして教室の外で人と接するとき、これからは「マドレボニータのインストラクター」として認識されることとなり、目の前にいる相手がマドレボニータにどのような印象を抱くかはわたしによって決められることになります。

あらためて言葉にするとずしっとした責任を感じます。

言語化すること、それをアウトプットすることの重要性ですね。

 

わたしが教室に参加した際に共感した部分は「赤ちゃんへの対応」「産後女性とパートナーの呼称」「パートナーシップ」でしたが、これらも自分の中にしっかりと根付かせるために今一度言語化して今後の軸として固めていこうと思います。

 

赤ちゃん(子ども)を大人の都合で語らない

赤ちゃんはお世話が必要ではあるけれど大人と同じ1人の人間であり対等な存在である

 

知らず知らずのうちに、赤ちゃんを親の所有物であるような感覚で口にしている言葉はないでしょうか?

 

たとえば「手のかからないいい子」「(赤ちゃんの笑顔を褒められたときに)でも一重なんでこれが二重になればなって思ってるんです」のように、親や大人にとって都合の良い状態を「いい子」と表現したり、赤ちゃんのことを卑下したり。

本当は「手のかからない」の部分は思っていなくて「愛しい子・かわいい子」と思っているのかもしれないし「そうでしょう、この子の笑顔とってもかわいいの」と思っているのかもしれません。ただ、我が子をただ褒めるのは何となくはばかられるから何となく発言しているだけという方も少なくはないかもしれません。

 

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これはわたしの話なのですが、男の子を2人授かった後に第三子を妊娠した際には「やっぱり次は女の子がいいの?」、第三子も男の子だと分かった時には「えー?!大変だね!」と各方面から声をかけられて正直辟易としていたことを思い出しました。同調はせずやんわりとそうは思っていないことを伝えることにも疲れてしまい…。もちろん、相手は世間話程度のつもりだということはわかっていますが、それでも違和感がありました。授かった命、性別に関係なく愛しく尊いですよね。

 

「次は女の子だといいですね」と言われたときには「赤ちゃんの性別は(検査ではわからなくても)もう決まっているんだよ?赤ちゃんになんて失礼なことを言うんだろう」と赤ちゃんといっしょに傷ついた心持ちになり「世間話程度の返し」もできませんでした。

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日本の「謙遜文化」や「子は親の管理下にある」というような空気を変えていきたいです…。まずは自分の周りから、ですね。

 

わたし自身、卑下や謙遜、否定に関しては敏感にキャッチしていると思うのですが、「親にとって都合のいい子」を「いい子」と表現されていることについては「まぁほめ言葉のつもりだし…」と軽く受け止めてきました。「ん?」と思いながらも同調したり、自分でも口にしていたと思います。
「赤ちゃん(子ども)を大人の都合で語らない」を今日から行って体に染み込ませようと思います。

 

目の前にいる人の持つ力を信じる

産後女性をどういう存在だと捉えるか?

 

マドレボニータでは産後女性のことを「ママ」ではなく必ず名前で呼びます。「ママ」と言われると呼びかける側も呼びかけられた側も「ママ」というベールにつつまれて個人の力が発揮されにくくなるように思います。

 

わたしも少し想像してみると、例えば幼稚園の保護者の集まりで「〇〇君のママはどう思う?」と聞かれると場合によっては当たりさわりのない回答で終わらせてしまうかもなぁと思いました。産後女性、日本ではあまり尊重されていないようにわたしは感じてきました。

 

体の回復はさておいて家事や育児は産後女性がやって当然、けれども社会に出ると「無理はしないで」と急に弱者のような扱いを受ける…矛盾を感じますが、どちらも周囲にとって都合のいい状態にされているということではないでしょうか。

 

産後女性は出産と赤ちゃんのお世話で消耗していたとしても必ずその人の中に力を持っている。
その力を心から信じ、もしその力が発揮されていないのならばそれを発露させるお手伝いをする。
そのための場をつくり、力を発揮できるエネルギーを取り戻すための運動を教える。

 

信じられること・体を動かすこと、そしてそこから湧き出るエネルギーを目の当たりにする、そんな場面に立ち会えるならば、こんなにも幸せなことはないだろうなと思いました。

 

 

長くなったので今回も前編・後編と分けさせていただきます。

後編はこちらです。

rinfamilylife.hatenablog.com

 

 

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